各務太郎『デザイン思考の先を行くもの』、未来の想像力を巻き戻してスペキュラティブに差し出し直すこと

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 各務太郎(かがみたろう)さんの『デザイン思考の先を行くもの』(クロスメディア・パブリッシング)を読んだ。

 

 私の感想をぎゅっと凝縮すると、「(異分野の)才能を集めてデザインしろ、金の話をするときは成功例に徹底しろ、というか金の話をしろ、じぶんの創りたい未来を熟知しろ(もちろんそこからデザインしろ)」というところ。デザイナーはもちろんのこと、小説家が読んでもおもしろいし、ためになる。

 

 彼の問題意識は「ことば」から始まる。第一章「デザインの誤解」では、デザイン、センス、クリエイティビティ、スタイリング、アート、これらのことばのオーバーラップによる弊害について説く。

 

 デザインというのは、目的の表現(an expression of purpose)、つまり「どうしたいか」「どうなっていたらいいのか」というバックキャスティング的な手法による問題解決力だという。デザインは、オシャレさのことではないし、造形美のこともでない。そこを履き違えながらハーバードに行ってしまい、苦労した話の記述にも熱が入っていた。

 

 また、金の話にも力が入っていてリアルに伝わってくる。コラム1と第五章(社会実装)から引きたい。まずはコラム1。

 

(…)自慢げにプレゼンしたのだが、それに対する教授陣の一言めのコメントに度肝を抜かれた。「デザインはいい。でもこれ誰が払うの?」極端な話をすれば、建築家の仕事が「お金を集めること」と「建物を設計・監理すること」に二分される。ところが50%を占める前者のマネタイズに関して、日本のデザイン教育は完全にスルーしているのが現状だ。(p.22「COLUMN1」)

 

 そして第五章。

 

(…)ところが、もしも他人様から資金調達をしようと考えている場合、あるいは大企業の中で実践しようとしていた場合、どこかのタイミングで必ず、他人を説得しなければならない局面が訪れる。そんなとき「個人的に叶えたいぶっ飛んだ未来があるんです!」では当然1円も集めることはできない。(…)まず自分が考えたビジネスアイデアを、自分で因数分解してみる。次に、その構造にいちばん近い既存のビジネスモデルを探してくる(できれば成功しているビジネスが望ましい)。そのふたつのモデルを見比べて、互いにひとつの要素をズラしただけの関係性に見えるように調整する。そして投資家や上司やクライアントには、はじめに成功している既存のビジネスからプレゼンをはじめるのだ。(p.200-201「第五章 社会実装」)

 

 私の知り合いの建築家も「デザインの仕事はほとんど説明の仕事(だし、まじでやりたくない)」と言っていた。これは小説家や物書きにもおなじことが言えると思う。

 

 物書きのあいだには「書きたいものと売れるものはちがう」みたいな典型的な鬱憤がある。しかし、そうではなくて、ただデザイナーがやっているような「説明/説得」が面倒なだけなんじゃないかと思う。

 

 物書きがよく口にする〈書きたいもの〉を因数分解して、売れたやつをあてはめて、要素を調整して、企画して、(編集者や出版社に)プレゼンするのが億劫になっているのだと思う。

 

 うまく調整して、「世界観はスターウォーズ風で、展開は君の膵臓をたべたいで、キャラクターはスラムダンクで~」みたいに言って企画を通して、あとは〈書きたいもの〉をその中で書いていけばいいし、才能があるなら〈書きたいもの〉は絶対におもしろいはずである。

 

 本書のレビューに戻って、才能の観点から言えば、各務さんは「見立てる」ということばをキーワードとしている。またふたつ引用する。

 

見立てる力 それは、ふつうの人から見れば全く関係のないふたつの異なるものも、それぞれをシナリオまで抽象化して捉えることで、同じ土俵で結びつけることができる能力。例えば作曲家がジェットコースターに乗ったら、その上下運動やスピードの緩急がメロディに「感じてきてしまう」かもしれない。パティシエがドバイの面白い建築物を見たら、新しいケーキのフォルムに「見えてきてしまう」かもしれない。その人の専門性や得意分野のフィルターを通すことで、他の人には見えないものが見えてくること。それはもはやロジックやマーケティングでは説明不可能なもの。(p.21「第ゼロ章 見立てる力」※太字は小見出し)

 

 もうひとつは第三章。

 

(…)それは、世の中を変えるような革新的アイデアは、ロジックやマーケティングからは決して生まれてくることはなく、ある専門性を持った個人が、異分野の知識に触れた時、そこはかとなく自身の専門分野の話に「見えてしまった」という極めて個人的な「見立てる力」こそが重要なのではないか? という仮説を持っているからである。カルロスはそれを「シークレット」と呼んでいた。(p.89「第三章 0→1」)

 

 ここは、先ほどのマネタイズの話とちがって、(いまのところ)因数分解できないところだろう。ロジックやマーケティングでは生まれてこない、という事実に各務さんは何度もアンダーラインを引きながら語っている。

 

 直接的な言及はないものの、ウリポ(Ouvroir de littérature potentielle/潜在的文学工房)の長い紹介や、メルカリの研究開発組織「mercariR4D」を現代版のウリポとしたり、暗に「複数分野から才能を集めような」という方法論的なメッセージを感じた。

 

 最後に「じぶんの創りたい未来を熟知する」と勝手に見出しをつけて話すけれど、「未来」は各務さんにとっていちばんのメッセージなのかなと感じた。本書の英語タイトルが「design the future」で、とにかくデザインの本質的に未来的なところを訴えている。

 

 まえがきでは、バックミンスター・フラーの「The best way to predict the future is to design it/未来を予測する最良の方法は(自分自身で)デザインしてしまうことである」ということばを紹介している。(ちなみに裏表紙というか表4にも載ってる)

 

 第三章では、スペキュラティブ・デザインという概念についてページを割いていて、「物事はこうなっていたかもしれない」と思索するための手段としてのデザイン、というダン=レイビーの共著「Speculative Everything」の定義も紹介している。

 

 この定義には驚かされた。ある意味では、サグラダファミリアが魅力的に思えるのも、いままさに未来に投げ飛ばされ続けている(そして未来から打ち返されている)スペキュラティブな建造物だからなのかもしれない。

 

 高橋源一郎さんが『一億三千万人のための小説教室』のなかで「小説は未来的である」と規定していたように、小説もまたスペキュラティブデザインを必要としているんだと思う。その小説家だけが熟知している個人的な未来への投機なくして、小説というものは生じない。

 

 ということで、冒頭にも記したけれど、本書の感想を凝縮すると「(異分野の)才能を集めてデザインしろ、金の話をするときは成功例に徹底しろ、というか金の話をしろ、じぶんの創りたい未来を熟知しろ(もちろんそこからデザインしろ)」という感じだと思っている。

 

 深いところまで思考を誘ってくる魅惑の書籍だった。知り合いのデザイナーにおすすめする。