ケルクショーズ・イリヤ 3号店(Quelque chose, Il y a - troisième)

Il solito tran tran(でも明日は何か新しいことを考えるだろうか……)

横浜美術館「モネ それからの100年」展、私たちが現代アートに参加するということ(現代アート自体はそんなにむずかしいことじゃない)

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 20時、夜の美術館。いつもは列ができている横浜美術館だけど、ありがたいことにとても空いていた。子どもも高齢者も、ちょっとやりたいほうだいな感じでよかった。私もエントランスでけっこう写真をとっていた。被写体になってくれたのは、このブログのアイコンを描いてくださったShikimiさん。

 

 モネという名前でうまく集客しながら、中身のほとんどは「現代アート」で、私自身は中西夏之(なかにしなつゆき)さんの作品を目的に行った。下の写真はオープンナイトの横浜美術館。ひとが多いとそれだけでやられてしまう私にとっては本当にありがたい。倍の入場料でも全然いい。

 

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 モネを巨匠としてとらえるより、モダンアートの先駆としてとらえなおそうという企画で、モネにつられたひとはモネの系譜で多数の現代アートを見せられる。「わたしがみつける新しいモネ。」というコピーも素晴らしい。

 

 現代アートというとややこしくてむずかしいというイメージがあるかもしれないが、それはプレイヤー側のルールが煩雑だからであって、観る側はそれにどこまで付き合うかじぶんで距離感を決めていい。

 

 例えば、ツレのShikimiさんは児玉靖枝(こだまやすえ)さんの「深韻 水の系譜―白(びゃく)」という連作が気に入ったらしく、「ウォッチするぞ~!」と意気込んでいた。この手のものは引用が難しいので、Twitterから別の展示会の様子を探してきて埋め込む。

 

 

  現代アートの「現代」というのは、あらためて言うまでもなく「今」ということである。それは、モネでいうところのバジル、リュエル、オシュデたち(貧困時のモネを買い支えたひとたち)だと言える。

 

 追えるし、買えるし、推せる。たしかに「こういうアートワールドで、こういうルールで芸術してます」というのは、ラーニングを要するハイレベルな(?)楽しみかただけれど、「今」の芸術家を追ったり、買ったり、推したりするのはそんなにむずかしいことじゃない。

 

 現代アートというのは、そういった意味で、両レイヤー的な楽しみかたがある。つまり、【1】フォースアウト(第四のアウト)がわかると野球を観るのが面白くなるように、アートにもルールがわかると面白くなるものがある。もうひとつ、【2】なんとなくの感覚で好きになった芸術家やアーティストを応援できるし、追いかけて投資することもできる。買い支えることもできる。なんなら個展にいけばだいたい在廊している。在廊してるところに行って作品の話を聞けば、さすがにアートのルールがわからなくても、その作品の意味ぐらいはわかる。

 

 当たり前だけど、モネは在廊していない――。ちなみに下の画像は、買った花。ハーバリウムというらしい。(モネの睡蓮にちなんで)蓮が入ってるやつと、(モネの得意な色にちなんで)ピンクのやつ。

 

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 そういう意味で、学校の美術の授業では「参加」という概念を教えたほうがいいのではないかと思っている。美術史も大事だし、三点透視図法を知ることも大事だけど、それ以上に「現代アートが(わかりたいのに、参加していないからそもそも)わからない」というなんとも残念なすれちがいを、そこである程度は解消できると思う。

 

 具体的には、「形のないものを観ること」かつ「連作(orうつろい)」かつ「できるだけ色を混ぜない」という約束事を決めて、モネの系譜っぽい感じでそれぞれ作品を作ってもらって、2人1組になってもらって、それぞれの作品を解説させて、クラスや学年のみんなで投資し合ってみるとかどうだろう。

 

 今回の企画では、そういった開けたやりかたというものを考えさせられた。リヒターさんという知らなかった作家さんを知ることもできた。モネ自体が初めてというかたには、ピンクとか黄色の使いかたがやばいところとか見てほしいかなと思う。好きに見ればいいんだけどね。

 

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 そんなこんなで、ポルタで和幸さんのとんかつを食べて帰ってきた。おいしかった。また横浜に行きたい。