ケルクショーズ・イリヤ 3号店(Quelque chose, Il y a - troisième)

Il solito tran tran(でも明日は何か新しいことを考えるだろうか……)

言語化しにくい「想像力」がある、駅前で出会ったチーズケーキ売りのイベントキャラクター

 駅に向かっていたら、かごを押しているひとが話しかけてきた。新宿で働いていたころ、オフィス周辺でヤクルトさん(ヤクルトレディ)が大きなかごを引いて走りまわっていたのをフラッシュバックライクに思い出す。

 

 「3分だけ、北海道のお菓子とかあるんです」と言われて、ちょうど北海道胆振東部地震の直後だったこともあって、足をとめた。アイ・スパイスというメーカーのお菓子を移動販売している会社(ウィッツコーポレーション)らしく、その日のラインナップは、北海道のチーズケーキ、京都の八つ橋、あとなんかもうひとつで三種類。

 

 北海道のやつだけ購入して、購入証明書のようなものをいただき、行商と別れ、駅へ向かった。何日か立ったあとに食べたが、けっこうおいしかった。買い物のディフィカルティがあがっていくと、こういう移動販売や行商というのは重要になるんだろうなと思う。

 

 行商や移動販売というのはイベントキャラクターであり、じぶんの生活圏にながれる別の時間軸(ベータ時間)の表象のような気がする。移動販売のイベントキャラクターと出会うとき、私はもうひとつの時間、もうひとつの人生と接近している。そんな緊張感がある。

 

 そこには「損した」とか「得した」という音階では計測できないような意味がある。たとえば、携帯電話のキャリアが、アイス、たこ焼き、牛丼、ドーナッツ、ハンバーガーなどをおごって、ユーザーがそのために行列をつくる。これについて「1時間並んで380円は(時給換算で)損、情弱」と言いたくなる気持ちもわかるが、イベントをたのしんでいるひとたちなんだと思う。

 

 「SUPER FRIDAY」のおかげで金曜日という時間に意味がうまれる。「三太郎の日」のおかげ3日・13日・23日という時間に意義があたえられる。イベントというのは、参加すればするほど、私たちの時間を変質させてくれるのだ。イベントの特別感というのは、時間を新たに彩る想像力のことだと思う。

 

 たぶんそれはイベントにしかない想像力で、「イベント的想像力」(l'imagination événementielle)といってもいいかもしれない。いま造ったオレオレ言語だからあってるかどうかわからないけど、イベントはイベントというだけで名状しがたい想像力をかりたてる。

 

 東大で芸術ゼミをやってた友人は、演劇を観にいって、舞台にひとが出てくるだけで涙を流してしまうようになったと言っていたし、私自身も秋葉原で音響やっていたとき、毎度毎度繰り返されるメイドさんのティピカルなステージに、よくわからない感動をいだいていた。

 

 アーティストのライブにいけば、それだけで感情のどこかが潤っている気がするし、勉強会やミートアップにでむけば、「意識高い」じゃないけれど、いままでとはちがうなにかを生み出せそうな気がしてくる。それは美術展や企画展でもおなじだし、コンビニに置いてある「期間限定商品」や、スーパーの「タイムセール」でもよい。

 

 そういうイベントライクな想像力に、もっと注目が集まればうれしいなと思う。